前田俳句の魅力 - 非人称存在の俳句の可能性

感じた事を表現しようとする時、そこには必然的に個我(自分)が存在する。「私」という主語を消す俳句においても、それは大きく変わりはしないだろう。

風景を詠んだ俳句では個我が強調されることは少ないが、風景を主語とすることで、それをどう捉えているかという個我が色濃く見えてくる。季語を主語とした場合も同様で、季語を通して個我の思考と行動が浮き彫りになることが多い。

非人称存在の俳句は、アニミズムという一見古典的発送を有しつつ、俳句に今までにない斬新な観点をもたらす。個我を完全に消し去った時、有季俳句の世界を離れ、対象であるモニになりきって物を考える句づくりが可能となる。

もちろん、これまでも非人称存在の俳句は多くのものにより自然に作られてきただろう。しかし、前田吐実男先生のように理論構築をもって積極的に取り組んだ人は皆無だったのではないだろうか。非人称存在の俳句は「俳句はどうやって作るのか」という素朴な問いに対する一つの解となる可能性を持っていると確認している。

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