川柳、短歌と俳諧の違い
だから「夢」句会は俳諧を選択する
川柳と俳句は共に五七五の十七文字の文学だが、決定的違いは俳句には季語を入れなければならないという決まりがあることだ。つまり、それだけ俳句では使える語句が少なくなり、自分の言いたいことを分かりやすく伝えたり、説明したりすることが難しくなる。川柳より表現力が開われることになるわけである。
とはいえ、川柳も、ただ説明するだけでは川柳とは言えない。十七文宇の中に、鑑賞者を納得させられる諧謔が必要になる。言い換えれば、川柳はその句を鑑賞した時、共通の答をもっていると言える。一方、俳句はどう鑑賞されようと自由である。つまり、正解がない。実は、ここにこそ俳句における作者と鑑賞者それぞれの自立性が存在するのである。
そして、その問に位置するのが俳諧である。俳満は、俳句でありながらどの鑑賞者にも同質の諧謔性を感じさせる明快さがある。つまり、ある程度共通の答を待っている。但し、決してそこには縛られず、自らの発想をどう解釈されようと気にする必要はないという逃げ道も持っている。だから、様々な解釈が出来るように、説明をし過ぎてはいけない。短歌のように自分の気持ちを相手に率直に伝えることは不要。むしろ許されない。文字数の多い短歌と比べ少ない言葉の中に白身の思いを加えることは無粋なのである。
俳諧は、川柳・俳句と微妙に異なりながら交わることを是とし、いずれにも出入りできる白在性を持つ。だから、「夢」句会は俳諧を選択するのである。
